ころわん館長日誌 2006年10月

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2006年10月27日 「最近観た映画

・「ナチュラル・ボーン・キラーズ」(1994) 監督:オリヴァー・ストーン

・「ドーベルマン」(1997) 監督:ヤン・クーネン

・「レオン」(1994) 監督:リュック・ベッソン

・「ニキータ」(1990) 監督:リュック・ベッソン

・「キス・オブ・ザ・ドラゴン」(2001) 監督:リュック・ベッソン

・「アメリ」(2001) 監督:ジャン=ピエール・ジュネ

・「スズメバチ」(2002) 監督:フローラン・エミリオ・シリ

・「ロング・キス・グッドナイト」(1996) 監督:レニー・ハーリン

・「ダイ・ハード」(1989) 監督:ジョン・マクティアナン

・「プレデター」(1987) 監督:ジョン・マクティアナン



2006年10月26日 「石田 外茂一のことば」

石田 外茂一(いしだ ともいち)という人物がいた。明治34年生まれ。
英文学を勉強したが、一生を俗世間に抵抗しながら生き抜く。

今日は、彼の印象に残ったことばをご紹介します(以下本文)


王様でも乞食でも大人でも子供でももっていて

与えても与えてもなくならないモノをご存知ですか? なくならないどころか

与えれば与えるほど沢山になるモノをご存知ですか?

その沢山になり加減が山とも海ともたとえようのない程で

そんなに沢山になってもい
れ物もなしに

あなたがもっていることのできるモノを御存知ですか?

おじいさんもおばあさんもお父さんもお母さんも

誰れでももっていることができるけれども

ただ残念なことには

時によるとそれを与えない人があります

与えないからして無いほどしかもっていない人があります

―――そんなモノを御存知ですか?

わかりましたか そうですそうです よい言葉です

親切な言葉です やさしい言葉です 温かい言葉です

なさけ深い言葉です 明るい言葉です

人を励ます言葉です 力強い言葉です

命を吹き込む言葉です それを言うことによって

人をよくし同時に自分もよくなる言葉です

頭もよくなります 体もよくなります 病気もなおります

勿論心もよくなります どうしてよい言葉がそんなによいかというと

よい心とよい行いとをシッカリつないでいるからです

どんな時でも 与えるモノをもっていないと思いなさるな



季刊 「銀花」 第二十七号 1976 特集ページより(本文まま)



2006年10月23日 「クロダイ釣りタイ」

最近、クロダイ釣りをはじめた。道具をある程度そろえ、何回か釣行に出かけるのだが、釣れない。
そんな簡単に釣れる魚ではないと知りつつ、潮時表をにらみながら「こんどこそ!」と気合を入れる。

釣り新聞に「1エサ、2潮、3に腕」と書いてあったが、場所つまり、ポイントも重要なのかもしれない。
『同じポイントに通うことが上達への近道』とあるサイトに書いてあった。

また釣行の様子などを日誌に記してみたいと思う。



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2006年10月22日 「最高のおしゃれ」
「あの人に会いたい」というNHK番組をみた。出演は、益田 喜頓(ますだ きいとん)さん。
昭和期を代表する日本のコメディアン(Wikipediaより)であった彼が、番組の最後にこう語っていました。

「最高のおしゃれというのは、人目を引いてはいけない」

すぐにメモできなかったので、もう少し違う表現だったかもしれませんが、その言葉を聞いて、 目を閉じて
自分がオシャレだなと普段感じる人を頭に思いおこすと、なるほど、あまり目立つ格好をしていない。
かといって、地味でもない。

館長はあまり自分の服装を気にしてきませんでしたが、益田さんの言葉を参考に、明日から見直そう
と思いました。また、増田さんの言葉は、おしゃれだけでなく、人生なんてのも案外そうなんだよ、と
そっと教えてくれているような気がして、なんだかとっても暖かい気持ちになりました。


2006年10月21日 「子どもは大変」

この前、床屋さん帰りの近所の子どもに「おおっ! 似合ってるね」と言った。普段、そんなことは言わないのだが、
そしたらすぐに「おじさん、無理してそんなこと僕に言わなくてもいいよ」と言われた。(お、おじさん・・ガクッ)
あちゃー、ばれてた。
小学校3年生くらいの子どもに、自分がちょっと無理して「似合うね」なんて言葉をかけた
ことが、実はお見通し、
ばれていたのだ。
子どもは見かけは子どもだが(?)、実は大人よりもすごく神経を使い、周りのことを気にしている。

大人よりも気を使う? と会社勤めのお父さんは思うかもしれないが、1クラス30人弱(館長のときは40人位
いたかも)、他のクラスの子や部活の先輩、後輩、塾の友だちなんて入れたらすぐに何十人、何百人という人数
になり(ちょっとおおげさかも)そんな大人数を相手に彼等は毎日、当りさわりなく、上手に付き合い、学校生活を
送っている。

「ころわん、おはよう」と声をかけられたとする。ちょっと考えごとをしていたりとか、雑音でその声が聞こえなくて
も、すぐに「おはよう」と返事をしなければ「ころわんに無視された」と思われ、そのことはすぐにその子のほかの
友だちに伝わり、気が付くと夕方にはクラスのみんなから無視されるようになっていた、なんてことがおきるかも
しれない。

そんな緊張感の連続の中、勉強はもちろん、部活動や、習い事もこなさなくてはいけない子どもたち―。


家に帰って、学校で起きたことをありのままに話せば、「まあ! そんなことがあったの! さっそく校長先生に
電話(これが現実)しなくちゃ!」となり、せっかく普段から築いてきた友だちとの微妙な関係を崩壊させ、逆に
自分に火の粉が降りかかってくるかもしれないから、イヤなことや、本人にしかわからない悩みがあっても、
親になかなか本当のことを打ち明けることができない。

では先生に相談してみたらどうか―。

放課後、他の子どもたちがいない時間に、なんだか先生に相談していたようだ、と悟られない場所で話を聞いて
くれるなら、そして今後どうしたらいいか真剣に、一緒になって考えてくれるのならそれもいいだろう。
しかし、先生も忙しい。とりあえず、手っ取り早く、「えーこのクラスに問題が起きました」なんてみんなの前で
話されたら、それこそ、「チクった」、「裏切り者」というレッテルを貼られるかもしれない・・。

子どもたちの中には、暗黙のルールや掟が存在し、それを破ると、とんでもないことになってしまうのだ。

館長が子どもの頃、みんなの前で勝手に級長にさせられたり(推薦という形で)して、くやしくて悲しくて泣いて
吐いたことがある。みんなの前で舞台に上がらされ、はずかしい思い、悔しい思いをさせられても、決して先生
は助けてくれなかった。孤独だった。学校の校門まで行って悩んで家に引き返すことも一度や二度ではなかった。


緊張と孤独と不安と背中合わせ、そんな生活が6・3・3で12年も続くのだ。

だから子どもが学校から帰ってきたら「お疲れさま」と言っても全然問題ない。彼等は本当に疲れきって
家に帰ってくる。だからストレスもたまり、イライラしたりもする。お酒を飲んだりして発散することもないから
そのイライラは解消されることもない。 常にストレス状態だ。

そんなストレス状態を”少しだけ”ほぐすことができる魔法があることに最近、気が付いた。
それは、「よくできたね」、「大変だったね」、「上手にできたね」、「がんばってるね」、「何か嫌なことなかった?」、
など、挙げればきりがないが、とにかく、誉めて、ねぎらって、子どものちょっとしたことに『気がつく』ことである。
それも館長のようにたまに言うのではなく、無理せず、自然に、持続して、である。 

大人が『気が付いてくれる』ということは、こちらを気にしてくれている、何かあったときに助けてくれるかもしれない、
そんな安心感を彼らは得ることができるのだ。

「お前がもし、学校でいやなことがあったらお父さんは会社をやめて、お前と母さんと一緒に無人島に行ってもいい」

ウソでもいいからこんなことを言ってもらえたら、どんなにうれしく、そして心強いだろう。

大切な事は、子どもたちと同じ目線で、彼等の気持ちを理解しようと努力する大人の”姿”を見せること、そして、
もしイヤなことや精神的につらいことが学校で起きても、その時はなんとかしてやるからな、という”強い覚悟”を
しっかりと言葉や態度で示すことだと私は思う。


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2006年10月20日 「おそば屋留学」

館長の好物は「そうめん」、もしくは「ひやむぎ」でありまして、なんといっても、ゆで時間が2〜3分と極めて短く、
具も裏庭に植わっているネギ、あるいはシソの葉を使用し、麺つゆは水で薄めるタイプなので家から一歩も出る
必要がなく、これこそ日本が世界に誇ることができる、究極のファストフードではないかと思う次第であります。

さて、今日はそんな「そうめん」のお話ではなく、「そば」であります(ガクっ)

館長がよく行くそのおそば屋さんは、午前11から午後2時までと超短い営業時間であり、しかもかなり良心的な
値段であり、ここまで書くと、「まあ、そんな店はたまにあるよな」と読む人に軽いジャブを入れられる事を覚悟
しつつここからが本題ですよ、てな具合でありまして、なんとお客さんのほとんどが外国人という、これはもう、
駅前留学なんてもんじゃないですよ!

ちなみに、出身国はフランス、イタリア、ドイツ、ブラジル、中国、インド、 イギリス、アメリカなどなど(多分)


「いらっしゃいませー」

まだ昼前11時半というのに、店内は客でごったがえしている。今日も外国人のお客で一杯だ。
ゆっくり店内を見渡し、「カウンターも一杯か・・」今日はあきらめよう、そう思った瞬間!
「ココア イテマス ヨ!」
と男性の声がした。

「ドゾ、ドウゾ」と4人がけのテーブルに招かれた。ふうと腰をおろしようやく顔を上げることができた。
正面には白人の男性が二人、自分の隣には黒人の男性が座っている。

そういえば以前六本木の「松屋」でカレーライスを食べていた時、隣にギャング風のごつい黒人の方が座って、
ジロリと自分が食べているカレーをにらまれた事を思い出したが、今はそんな緊張感はない。

まったく英語が話せない館長ができることといえば、ただ黙って座っている事だけであり、注文を済ませると
どこに視線を置いてよいやら、まさか話を聞いてフンフンと聞くわけにもいかないしとソワソワしていると自然に
のどが乾き、コップがすぐに空になった。

すかさず! である。それまで話していた目の前の白人の男性が「オミズ、ドゾ」とピッチャーの水を館長のコップ
に注いでくれたのである。光速流である。
あっ気にしてくれてたんだ、と少しうれしくもあり、館長もすかさず 「サンキュウ」と礼を言ったが、後が続かない。
再び下を向き、のどが渇き、水を飲む。

「おまちどうさまー」
先に注文していた白人男性の前に置かれたそばの上には、立派なエビ天が鎮座していた。

外国から来た人のほうがよっぽどイキだなあと”素”そばをすする館長なのであった 。




2006年10月19日 「ロウスイ」

「さかなっち水族館」の更新もなかなかできず、Blogを立ち上げようかと考えていましたが、いまさらながら
Blogもニャァ・・(猫?)ということで、気楽に気軽に日記を(不定期で)書いてみようと、そう思いつきまして。

昨日、トイレに入っていたらどこからか「シュー」と妙な音が。

「そこだ!」(←コナンの見すぎ)と窓を開けると、水道管が縦に走っいて、どうやらここから音がするらしく。
ここで聴診器があれば最高なのですが、とりあえずドライバーを持ってきて耳に当てて、菅の音をじっくり
聞いてみることに。

そっと目を閉じると波の音が・・もとい、「ジャー」っと水が噴出すような音がするではありませんか!
速攻で水道メーターの所まで走り見てみると、 クルクルと円盤状の指針が回っています。家中の蛇口など
はすべて閉まっていて指針が回る・・。 ということは・・老衰じゃなくて漏水!!

ギャー!(←騒ぎすぎ) えらいこっちゃ! とりあえず漏れている個所を探さなきゃ!!

怪しい個所は3箇所。順番に調べていくほかない。
ということで、まずは鉄管専用のノコギリで、あやしいと思う個所を切断。

プラグ止めしてメーターのバルブを開けると、指針は変わらず回転。マイガー・・ここではないのかぁ・・。
よしっ次! ということで玄関近くのコンクリートを大ハンマーで「えいや!」と割り、「そいや!」(しつこい)と
スコップで土を掘り起こすも水が漏れている気配なし。
(コンクリートが湿ったような感じだったからここだと思ったんでんですが・・)

残すはここだと最初に鉄管を切った部分の根元のコンクリートを割り、慎重に土を手でかき出すと、ジュワー
っと水があふれてくるではありませんか! ああ! 宝箱を発見した時ってきっとこんな感じ、と少しうっとり
しながら(?)さらに土をかき出しますと、普通埋設部分には使用しない継手が現れ、どうやらそのパッキン
が劣化し水が噴出していたようでして。

日も暮れかけていたので、とりあえず応急処置でパッキンを交換し、メーターを確認すると、ピタッと指針も止
まり、ようやく漏水が収まったのでした。

漏水は水道屋さんでも苦労します。何が大変かといいますと、漏れている個所を特定するのが難しいのです。
土の下の水道管なら掘れば良いのですが、厚いコンクリートの下となると・・。

今回は館長の野生の勘も手伝って比較的簡単な作業で済みましたが、 (割ったコンクリートを補修しなきゃ、
トホホ・・)もし漏水かな?と思ったら、近くの水道屋さん、もしくは懇意にしている水道屋さんに相談して治して
もらった方が確実で安心です。


(全然似てないし・・)


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